2023年6月22日

会長 杉野 識の生い立ちと家づくりへの想い

極断熱の家 (1).png

ヤンチャだった少年時代

昭和33年 7月 7日
石川県金沢市の中心で
杉野家の長男として誕生。

父、母、私、弟の4人家族。

私の父は私の誕生から3年後に
『スギノガラス店』を開業しました。

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両親はどちらも忙しく働いていました。
特に戦後から私が生まれるまでに
必死に家族を守るために仕事を頑張る
父の背中を見て育ちました。

あまり構ってもらえなかった時間も
ありましたが、自由奔放に楽しく遊び
育っていきました。

ガラス4.jpg

小学生時代は友達と毎日のように遊び
近所の東山や卯辰山などに行っていました。

そして中学校時代は水泳部に所属。
金沢市の大会で、入賞したりもしました。

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金沢の中心地で生まれ育ち
地域の人たちに見守られながら
中学生時代までを送りました。

今になって思えば、地域の人々には
とても感謝すべきことです。

家づくりへの原点がここに

この頃、父親は地域密着の建築会社として
「杉野商事 有限会社」を法人設立しました。

高校に入学し、その後も進学を考えていたのですが
父親の会社で住宅建築を間近に見ることで
家を建てることへの関心が出てきたのです。

昔上棟.jpg

しかし、建築を学ぶ場所なんて
どこに行けばいいかわかりませんでした。
そこで当時の担任の先生に相談したところ
建築設計の専門学校はどうか?と
薦められました。

今となっては担任の先生の薦めがあってこそ
家づくりに関わって仕事をすることが
現在もできているので、とても感謝しています。

高校卒業後、私は大阪の設計専門学校へ進学し
建築のイロハを学びました。

貧乏学生ではありましたが、学生生活はとても楽しく
建築の知識を蓄えながら、有意義な時間を
過ごしました。

社1.jpg

建築の世界へ

専門学校卒業後、本当の兄のように慕う
先輩がいる設計事務所に就職しました。

その設計事務所で、住宅はもちろんのこと
インフラ開発現場や大型ビルの施工など
さまざまな建築の仕事を経験し
大きな学びを得ることが出来ました。

この頃の経験が、今の仕事にも
大いに役立っていると自負します。

家業の住宅会社へ入社

父親が経営する会社に入社したのは
1987年のことでした。
時代はバブルで後継機真っただ中でしたから
世の中が浮かれた雰囲気になっていました。
そんな中でも、昔から家づくりに携わってきた
職人さんたちと、実直に現場仕事に従事し
住宅建築を行っていきました。

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今思えば、ここで浮かれたムードに流されず
家づくりを行っていたことが、後になって
とても良かったと思っています。

【家をつくる】使命

毎日現場へ向かい、職人さんたちと仕事を市
帰宅して夕飯の時、

家づくりとは...
建築士とは...
工務店・住宅会社とは...

などなど、
毎日毎日夜遅くまで考えました。

そして一緒に仕事をするベテランの大工さんや
職人さんたちにいろいろ教えていただきました。

それまで生きてきた人生には無かった、
色々なことを学ばせてもらった時代です。

「俺たち大工は家をつくるのが仕事だけど
 それだけじゃないんだ。
 そこに住む人の人生も一緒につくるんだ。 
 だから妥協も手抜きも許されないんだよ。」

わたしたちのもとには、腕に自信のある
職人さんたちが集まっていました。

まさに職人集団。

上棟式2010.12.19 020 (5).jpg

柱も荒木のまま現場に入ってきて、
現場で1本1本職人がカンナをかけて
素晴らしい材木として仕上げていく。

細部にわたり一切妥協せず
納得できなければまた作り直す。

そんな職人たちもことあるごとに

「家はつくる人間の思いでぬくもりが変わる。
 同じように見えても変わるんだよ。」

と熱く語ってくれました。

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人として、家をつくる人間として
多くの事を教えてもらい、充実した時間を
現場をみて過ごすことができました。

そのおかげで

【家をつくる】

という魅力にどっぷりはまり、使命感を感じ
今でも人生の目標にできていることを
本当に感謝しています。

住宅会社の社長として

2004年 1月

住宅会社としてさらに発展させる意気込みで
「杉野商事」から「シーダーホームズ株式会社」の
代表取締役に就任しました。

しかし、昔とは住宅を取得するお客様の環境や
世の中の情勢が変わっていく中で
断熱や耐震などの性能を担保しながら
住宅建築をしていくことで、どうしても家が
高額になってしまい、建てられる人が限られます。

このままでいいのか・・・

新しい挑戦の気持ちが沸き起こりました。
子育て世代でも安心して建てられる
高性能で快適な家を提供する。

20代、30代の若い子育て世代の年収でも
安心して建てられる家。
でもローコスト住宅を建てたいのではありません。

寒い北海道では、断熱性が高く丈夫な家を
北陸の石川県にある工務店より安く建てている。
この地で適正な価格で家づくりをする。

これは私の使命だと信じ
全力での取り組みが始まりました。

旧グループ.jpg

就任前よりもさらに日々たくさんの勉強をし
日本全国の数多くの工務店の話を聞き
メーカーに直接価格の交渉をし
協力業者にも粘り強く協力をお願いしました。

少し時間はかかってしまいましたが
いつまでも家族が安心して快適に暮らせる

【家族が穏やかに住まう家】

適正な価格で実現することができました。

性能へのこだわり

しかしながら、家づくりを行っていく中で
手がける職人さんが変わると、性能に差が
出てしまうということが課題としてありました。

このことは
基礎工事、大工工事、水道工事、
電気工事、板金工事、内装仕上工事
などなど...全てに言えることでした。

そこで私は、全協力業者と個々に話をする
機会を設け、私が考える

子育て世代でも安心して生活できる
デザインにこだわり、地震に強く
断熱性の高い、何十年も暮せる家づくり

に本気で賛同してくれる業者さんだけを
選ぶことに決めました。

同じ志で家づくりをする強いチームをつくる。

そうすることによって、性能に差が出ることなく
お客様に本当に良いものだけを提供できる。

SUGIWORKsが建てる家は、年間10棟までと
させていただいています。

この理由は、1つのチームでの家づくりが
この棟数で限界だからです。

12棟以上になると、チーム外の業者を入れなければ
目が行き届く、安心の家づくりができないからです。

「家はつくる人間の思いでぬくもりが変わる。
 同じように見えても変わるんだよ。」

今でも大切にしている、職人さんの言葉です。

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自分の失敗を教訓に、私自身も
令和元年に自宅を建て替えました。

妻が好きな色味を使い、リビングとお風呂は広く
寝室には備え付けの本棚やニッチ。
ウォークインクローゼットやシューズクローゼット
などの収納も設置しました。

しかし、妻にとってはまだまだ不満だらけの家・・・
せっかく建てた家なのに毎日のようにクレーム。

イライラする毎日でした(笑

しかしこのような経験が、私の家づくりに対する
考え方をまた大きく変えてくれました。

建築のプロが【常識】と思うことが
一般の人には【非常識】

建築に携わっていない人の方が、型にはまらない
自由な発想を持っていることに気付いたのです。

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お客様の立場に立ち
お客様一人一人に寄り添い
お客様の思いをしっかりと形にする

そのために、女性スタッフを
お客様と接することが出来る
中心に置くことにしました。

「家づくりの体験」

家を買うのではなく家をつくる。
この感覚を大切にしたいと感じました。

女性スタッフの活躍のおかげで
SUGIWORKsの家づくりは、お客様から
とても好評をいただいております。

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耐震性能への思い

もう一つ、私が家づくりをして行くうえで
大切にしていることが【耐震性能】です。

先述のように、私は大阪で設計を学び
そして関西で建築の仕事に就いたのが
この仕事を始める大きなきっかけでした。

1995年に阪神淡路大震災が発生し
ゆかりの地へ私は何度も足を運び、元同僚や友人
そして師匠でもある先輩のもとへと訪れ
凄惨な被害を目の当たりにしました。

新築やリフォームのお仕事を手伝わせていただき
自分の力で少しでも被災した方へ貢献できればと
必死に石川県と阪神圏を行き来したり、長期に渡って
現地で滞在しながら仕事をしたことを
今でも鮮明に覚えています。

月日が経ち、さらに耐震への思いを固める
大きな出来事がありました。

能登半島大地震

2024年1月1日16時10分。

鳳珠郡穴水町の北東42km。
能登半島地下16 kmで発生した大地震。
この地震のマグニチュードは7.6。
内陸部で発生する地震としては
日本でも稀な大きさの地震でした。

2週間近く前になる12月22日。
中能登町で仕事をさせて頂いており
七尾市にも別件で寄っておりました。
その時は、まさかそんな災害が起こるとは
夢にも思っておりませんでした。

いつも一緒に仕事をしている左官職人さんは
輪島市出身で、中能登町の仕事でも
現場で打ち合わせをしていました。
お正月は帰省中。
震災直後には連絡が全くつながりませんでした。

不安が募る日々。

能登方面に向かいたくても行けない状況が続き
現地に現場確認のため中能登町に入れたのは
すでに3週間も経ってのことでした。

幸いにも左官職人さんは家屋が倒壊した中で
たまたま入っていたコタツに隠れ
九死に一生を得ていました。

中能登の現場でお話を伺ったとき、笑いながら
「大変だったよ~」とその時の状況を
語ってくれていたのを思い出します。

家屋が崩れ、仕事道具もたくさん
埋もれたはずなのに。
きっと辛い思いをしたはずなのに。
「こっちまで来てくれてありがとう!」

現場でお会いしたお客様も
「ありがとうございます!」

そんな言葉を言ってくださる方たちの強さに
私の方が支えられたのを
これからも忘れることができません。

家が倒壊し、命を無くした人も多くいたと聞き
家づくりにおける耐震については
妥協が一切許されないことを
再認識したのです。

それまでも耐震・制震性能には
こだわっていたつもりでした。

しかし

自分がつくる家は、もっと地震に強い
家でなければならない!

とさらなる決意をしたのは言うまでもありません。

2度の震災被害をこの目で見た経験から
今でもその使命感と責任感を
強く心に持ちつづけてますし
これからもずっと続いていきます。

変わらぬ家づくりへの想い

時代が変わり、住宅の性能や価格や
デザインなども変化し、家に対する想いも
多様化しています。

しかし、私が想う家づくりは

家族が穏やかに暮らせる家づくり

であり、これからもこの想いは変わりません。

そこに住まう家族が豊かで幸せであり続ける
そんな家づくりを伝えて受け継いでいく。

それが私の使命だと肝に銘ずるとともに
私たちスギ工務店【SUGIWORKs】は

地域に貢献し続ける会社でありたい
そう願っています。

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シーダーホームズ株式会社 グループ代表取締役
スギ工務店【SUGI WORKs】会長

杉野 識

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土地のこと、間取りのこと、住宅性能のこと...etc
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